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November 08112002

 ふるさとの湯たんぽの湯に顔洗ふ

                           鳥居真里子

湯たんぽ
語は「湯たんぽ(湯婆)」で冬。なぜ「湯婆」と表記されているかは、昨年の冬に書いた。参照。掲句を読んで、確かに「湯たんぽの湯」を、翌朝には顔を洗ったり食器を洗ったりするために使ったことを思い出した。前夜には熱湯を入れて寝るわけだが、さすがに朝になるとぬるま湯になっている。でも、それが洗顔などに使うには、ちょうどよい温度なのだった。でも、これは昔の人の生活の知恵というほどのことでもない。何につけ、使えるものはすべて使い回した時代だったから、とりたてて知恵と称揚するのははばかられる。ま、単純な資源の再利用法には違いないのだけれど……。さて、掲句はむろんリサイクルの考えなどとは関係はないが、かといって、故郷愛ともさして関係はないようだ。私が作者だったら、おそらく「ふるさと」ではなく「ふるさと」と詠嘆してしまうだろう。この一文字の相違は大きいなアと、何度か句を見つめ直した。その上で言うのだが、作者にあるのは、足を暖めるために使った湯を洗顔のために使うというところに面白さを見出したポップ感覚である。あくまでも「ふるさと」は従であり、「湯たんぽ」が主なのだ。「ふるさと」には「湯たんぽ」があっても不思議ではない土地だという、いわばアリバイとしての言葉運びになっている。大雑把は承知だが、元来、季語は多くアリバイとして使われてきた。それが、掲句では完全に逆転している。そこに私は一抹の寂しさを覚えながらも、俳句にとっては面白い時代になってきたのかなとも思った。この問題については、私なりにもっと考える必要がある。その意味で、ちょっと横面を突つかれたような句だった。ところで写真の湯たんぽは、ネットで今、8,000円で売られている純銅製のもの。蹴飛ばしては申し訳ないような風格がありますね(笑)。『鼬の姉妹』(2002)所収。(清水哲男)


December 07122003

 福助のお辞儀は永遠に雪がふる

                           鳥居真里子

しかに「福助」は、いつもお辞儀の姿勢でいる。多くの人が福助を知っているのは、人形そのものとしてよりも、関西の足袋屋から出発した下着メーカーの商標としてだろう。だから作者が福助を見ていて、(足袋から)雪を連想したのは心の自然の動きである。句はアダモのシャンソン「雪がふる」にも似て、私たちの漠然とした郷愁を誘う語り口だ。静かに降る雪を見ていると「永遠に」ふりつづけるようであり、目の当たりにしている福助のお辞儀も、また変わることなく永遠に繰り返されていくことだろう。このときに、読者は雑念からしばし解放され、真っ白な無音の世界へと誘われてゆく。福助といういわば俗っぽいキャラクターが、かえって静謐な時間を際立たせているところに注目。ところで、福助とはいったい何者なのだろうか。むろん足袋屋さんが作ったのではなく、江戸は吉宗時代からのキャラクターらしい。頭が大きく背の低い異形だが、実は大変な幸運をもたらす人物として創出されている。人は見かけによらぬもの。そうした教訓を含んでもいるので、あやかろうとする人々にも、濡れ手で粟のような後ろめたさがなかったと思われる。荒俣宏によれば彼は子供なのだそうだが、一方では女房子供のいるれっきとした大人だとする説もある。他にちゃんと愛人もいて、その名が「お多福」。ついでに母親の名が「おかめ」ときては、眉に唾をつけるよりも前に笑ってしまう。ちなみに、姓は「叶(かのう)」だそうな。願いが「かのう」というわけか。それからこれは本当の話だが、今年の梅雨のころに、福助が消えて無くなるかもしれない出来事があった。「福助」株式会社が、大阪地方裁判所に民事再生の適用を申請したからだ。商標が消えたからといって掲句の魅力に影響はないけれど、やっぱり消えるよりは存在していたほうがよい。ここで、ちらっと福助の動くお辞儀が見られます。『鼬の姉妹』(2002)所収。(清水哲男)


January 1712004

 雪をんな紐一本を握りたる

                           鳥居真里子

語は「雪をんな(雪女)」、雪女郎とも。たいがいの歳時記は春夏秋冬・新年と言葉を季節ごとに分類し、さらに「天文」「地理」「生活」「行事」などと項目を細分化して収録している。さて、それでは「雪女」はどの小項目に分類されているのか。「生活」とか「人事」だろうか、待てよ「動物」かしらんと、案外に即答できる人は少ない。正解は「天文」で、「雪晴」や「風花」と同列である。つまり「雪女」は、昔から明確に自然現象と位置づけられてきたわけだ。もう少し細かく分けるとすれば、豪雪が人にもたらす幻想幻覚だから、「狐火」などとともに「天文>幻想」の部に入れることになるだろう。「みちのくの雪深ければ雪女郎」(山口青邨)。ところが昨日あたりまでの北日本の大雪は例外として、地球温暖化が進むに連れ、雪があまり降らなくなってきた。正月には雪が当たり前だった地方でも、むしろ雪のない新年を迎えることはしばしばだ。したがって、当然のことながら、雪女の出番も少なくなってきた。にもかかわらず、俳句の世界では人気が高く、よく詠まれているようだ。が、昔の人はこの幻想に実感が伴っていた。深い雪に閉ざされた暮しのなかでは、その存在を信じないにせよ、自然に対する怖れの心があったからだ。いまは、それがない。だから、現代の多くの雪女句は、自然への怖れを欠いているがゆえに、本意を遠く離れて軽いものが多い。無理もないけれど、もはや多くの俳人にとっての雪女は天文現象とは切れていて、なにやらアイドル扱いしている様子さえうかがえる。掲句の作者はおそらくそのことに気がついていて、雪女にもう一度リアリティを持たせたかったのだと思う。そのためには、どうするか。思いを巡らせ、小道具に「紐一本」を握らせることで、何をしでかすかわからぬ不気味さを演出してみせたのである。現代版雪女には違いないけれど、少しでも本意に近づこうとしている作者に好感を持つ。『鼬の姉妹』(2002)所収。(清水哲男)


June 1762004

 噴水の背丈を決める会議かな

                           鳥居真里子

語は「噴水」で夏。思わずクスリと笑いかけて、いや待てよ、これは大真面目な会議なんだなと思い直した。噴水の背丈をどれくらいにするかは、設計者の意図もあるだろうが、水不足などの外的条件も考慮しなければならない。会議を開いて、背丈を変更することも現実的にあり得ることだ。でも、なんとなく可笑しい。大の大人が何人も集まって、ああでもないこうでもないと長時間やり合う。傍目にはよほど深刻な問題を討議しているのかと見えるが、中味は何のことはない、噴水の背丈を何センチ縮めるかといった「問題」だった。なあんだ、というわけである。今度噴水の前を通りかかったら、この句を思い出してみたい。きっとじわりと、可笑しさがこみ上げてくるだろう。句の例に限らず、世の中にはどう転んでも、誰のためにもならないような会議が多すぎる。むろん、出席者にとってもだ。それも仕事のうちと割り切れればよいのだが、こんな会議に出るために生まれてきたんじゃねえやと、腹立たしくなる会議は私も何度も経験した。噴水の丈を決める会議のほうが、まだマシというような……。で、いつしか猛烈な会議嫌いになり、よほどの議題でもないかぎり逃げ回っていた時期もあった。俗に会議の多い会社はつぶれると言われたりするが、ある程度は真実を突いている言葉だろう。どうしようどうしようと集まること自体が、既に組織的動脈硬化が起きている証だからだ。が、掲句の舞台は、役所の公園管理課みたいなところだろうか。だったらつぶれる気遣いはないわけで、それだけ余計に始末が悪いと言える。『鼬の姉妹』(2002)所収。(清水哲男)


January 2312005

 某日やひらけば吹雪く天袋

                           鳥居真里子

語は「吹雪く」で冬。「天袋(てんぶくろ)」は、和室の高いところ(押し入れの上部にある場合が多い)に設けられた収納スペースのこと。踏み台がないと開けないような高さなので、頻繁に出し入れする物の収納には向いていない。季節用品とか、卒業証書のように使わないけれど捨てられない記念の物などを仕舞っておく。だから、日頃はほとんど意識することの無い空間だ。それが「某日」、ふっと思い起こされた。で、開いてみたら中が「吹雪」いていたというのである。が、現実にはむろん作者は開いていない。あそこを「ひらけば」、きっと吹雪いていそうな気がしたということだ。想像の世界を詠んでいるわけだだが、想像だからどんな突飛なイメージでもよいということにはならないところが、俳句的喩の難しさだろう。この場合には、天袋と吹雪との取り合わせが、無理なくつながっている。天袋も吹雪も、この国の暮らしの土俗的な暗さの部分で溶け合っている。そしてまた、句からは天袋やタンスの引き出しなどを開けると、そこにはこの世ならぬ別世界があったという伝承の物語もいくつか想起される。そういうことどもが絡まりあって、掲句が決して安易な思いつき的着想に発していないことがうかがえるのだ。「俳句研究」(2005年2月号)所載。(清水哲男)


March 2532005

 鶯餅かこみて雨にかこまるる

                           鳥居真里子

語は「鶯餅(鴬餅・うぐいすもち)」で春。「1846年(弘化3)になった山東京山の随筆『蜘蛛(くも)の糸巻』に「通人の称美したるものなるに、今は駄菓子や物となりて」と記され、幕末にはこの菓子が桜餅などとともに、春先の甘味としてすでに大衆化していたことがわかる」(「スーパー・ニッポニカ」2002)。その色といい形といい、なるほどいかにも通人の好みそうな餅菓子だ。大衆化したとはいっても、そんなに頻繁に食べられているわけではない。だから掲句のように,たまに食べるとなると,家族みんなで「かこむ」ことになる。束の間の団欒の場ができる。そして、この空間のみに意識をとどめる限りでは、雰囲気はあくまでも明るくてハッピーだ。だが作者は,この情景を望遠レンズで捉えたかのように,いきなり後半でカメラをぐいと引いてみせている。と、この親密な様子の家族をかこんでいたのは、実は暗くて冷たい雨だった。かこんでいる者たちが、さらに大きなものにかこまれているという構図。この構図が,さながらポジをネガに反転させるように働いていて効果的だ。でも、この句の味はそれだけにとどまらないところにあるだろう。この構図をしばらく眺めているうちに,読者の目が戸外の雨を離れて,再び団欒のクローズアップへと誘われる点である。その目は一度暗くて冷たい雨を見てしまっているので,再度の団欒の場は余計に親密度の濃い空間に見え,かこまれた鴬餅の風情もいちだんと明るくハッピーに写るのである。『鼬の姉妹』(2002)所収。(清水哲男)


January 3112006

 雪女郎です口中に角砂糖

                           鳥居真里子

語は「雪女郎」で冬、「雪女」「雪鬼」などとも。「雪女郎です」と名乗ってはいるけれど、この句のなかに雪女郎は存在しない。名乗っているのは、他ならぬ句の作者自身だからだ。気まぐれに「角砂糖」を口に含んだときに、ふっと砂糖の白から雪を連想し、雪から雪女郎にイメージが飛んだ。そして雪女郎が口を利くとすれば、角砂糖ならぬ雪を口中に含んでいて、おそらくはこんな声になるのだろうと自演してみた。口中の角砂糖がまだほとんど溶けない間に「雪女郎です」と発音すれば、「ゆひひょろーれす」のような、しまりの悪い感じになるだろうな。などと想像して、思わず笑ってしまったが、しかし茶目っ気からとはいえ、雪女郎の口の利き方まで想像する人はあまりいないのではなかろうか。好奇心旺盛な人ならではの一句だと思った。雪女郎はむろん想像上の人物、というか妖怪の類だから、特定のイメージはない。したがって特定の声もないわけで、各人が勝手に想像すればよいのではあるが、掲句を読んでしまった私などは、これからはこの句を離れた声を想像することは難しくなりそうだ。「しまりの悪い感じ」の声と言ったけれど、逆にきちんと発音された声よりも、実際に聞かされたなら怖さは倍するような気がする。歳時記の分類では、大昔から「雪女郎」は「天文」の項に入れられてきた。つまり、雪女郎は「雪」そのものだとか「雪晴」や「風花」などと同列の自然現象の一つなのだ。自然現象のなかで最も不気味なのは、人智の及ばぬ不明瞭さ、不明晰さであることは言うまでもないだろう。「俳句研究」(2006年1月号)所載。(清水哲男)


April 2542006

 相合傘の雫や春の鶴揺れて

                           鳥居真里子

語は「春の鶴」。ということになるが、はて「春の鶴」とは、どういう鶴を作者はイメージしているのか。秋に渡来し越冬した鶴は、春になると北に帰っていく。これを俳句では「引鶴(ひきづる)」と言い、春の季語としているが、この渡り鶴のことだろうか。「春の雁」という季語は定着しているので、その応用かもしれない。便宜上、当歳時記では「引鶴」に分類してはおくが、北海道に生息する「丹頂」は留鳥で渡らない。これもまた立派に「春の鶴」と言えるわけで、悩ましいところだ。それはさておき、一読、美しい句だと感じた。「相合傘」とはまた古風な物言いだけれど、むろん作者はそれを承知で使っているわけで、十分に効果的である。柔らかい春の雨のなか、肩を触れ合うようにして一本の傘に入って歩いている男と女。傘からは雨の「雫(しずく)」が垂れてきて、その雫を通して「春の鶴」が見えているのである。雫が垂れてくるたびに、鶴の姿はレンズを通したようにぼおっと揺れて拡大され、雫が落ちてしまうとその姿は遠くに去ってしまう。実際にはそんなふうには見えていなくても、句の作者の意図を汲めば、そうした美的な構図が浮かんでくる。相合傘は古風だけれど、句自体は雫を透かすという視点を得て、見事に新鮮でありロマンチックだ。いつまでも、このまま歩いていたい。傘の二人は、きっとそう思っているだろう。「俳句界」(2006年5月号)所載。(清水哲男)


May 0652008

 肉の傷肌に消えゆくねむの花

                           鳥居真里子

が自然に治癒していく様子、といってしまえばそれまでのことが、作者の手に触れると途端に謎めく。血の流れていた傷口がふさがり、乾き、徐々に姿を変え、傷痕さえ残さず元の肌に戻ることを掲句は早送りで想像させ、それはわずかにSF的な映像でもある。外側から消えてしまった傷は一体どこへいくのだろう。身体の奥のどこかに傷の蔵のような場所があって、生まれてから今までの傷が大事にしまい込まれているのかもしれない。一番下にしまわれている最初の傷は何だったのだろう。眠りに落ちるわずかの間に、傷の行方を考える。夜になると眠るように葉が閉じる合歓の木は、その名の通り眠りをいざなう薬にもなるという。習性と効用の不思議な一致。同じ句集にある〈陽炎や母といふ字に水平線〉も、今までごく当然と思っていたものごとが、実は作者の作品のために用意された仕掛けでもあるかのようなかたちになる。これから母の字の最後の一画を引く都度、丁寧に水平線を引く気持ちになることだろう。明日は母の誕生日だ。〈幽霊図巻けば棒なり秋の昼〉〈鶴眠るころか蝋燭より泪〉『月の茗荷』(2008)所収。(土肥あき子)


April 2042010

 天上にちちはは磯巾着ひらく

                           鳥居真里子

と磯巾着とは一体なにものなのだろう、と考えてみた。貝殻のない貝なのか、固定された魚なのか。調べてみると刺胞動物門虫綱六放サンゴ亜綱イソギンチャク目に属する動物だというから、食虫植物的珊瑚というのが正しい認識のようだ。そして、続く記述にさらに驚いた。磯巾着とは、どれも岩に固定しているわけではなく、時速数センチという速度で移動できるのだという。また、英名では「海のアネモネ」、独名では「海の薔薇」と呼ばれるのだから、あの極彩色の触手を天に向かって揺らめかせる様子を花と見立てて「咲く」と表現することももっともなことなのだ。しかし、一面の磯巾着をただ極楽のように美しいとだけ捕えるのは難しいだろう。あの触手にからめ取られるものがあることは容易に想像ができるのだから。触手に触れたものは、一体どこに運ばれていくのだろうか。海中に咲く磯巾着の花束を見おろしながら、作者もまた異界へと誘われているのだろう。『鼬の姉妹』(2002)所収。(土肥あき子)


January 0612011

 鏡餅真ッ赤な舌をかくしけり

                           鳥居真里子

や六日となり正月気分もだいぶ薄らいだ。そうとは言っても部屋を見渡せば、お飾りも鏡餅もそのまま残されている。掲句の鏡餅はパックに入った小さなのではなく、床の間に飾る本格的で立派なものが似合いだ。田舎では蒸してつきあがったアツアツの餅の塊から、まず鏡餅の上下を作った。丸餅を丸める要領で熱いうちに一気に成型しないときれいな形に仕上がらない。飾り方もいろいろあるのだろうけど、うちでは白木の三方の上に裏白を敷いてのせ、上下の餅の間に昆布を挟み込んでいた。真白なモチのどこから掲句の奇想が湧いてくるのか不思議だけど、新年を寿ぐ鏡餅の類想、類句とは無縁だろう。この場合鏡餅と舌の連想をつなぐものは垂れた昆布あたりかもしれぬが、「真ッ赤」の形容にめでたさの裏に隠れた悪意や怖さが感じられる。真赤な舌を隠したまま素知らぬふりで正月の主役を務めていた鏡餅も割られておぜんざいになる日も近い。『月の茗荷』(2008)所収。(三宅やよい)




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